小島剛一氏講演会「ラズ語辞書の記述の工夫について」に参加しました

2017年9月20日、小島剛一さんの講演会「ラズ語辞書の記述の工夫について」が開催されました。

ひつじ書房の公式サイトにも告知があり、講演会当日に休みが取れた私は、今年も参加できました。

9月20日の夕方、この記事を書いた後、私は自宅を出て、講演会が開催されるアジア文化会館へ向かいました。自宅を出た時、空はまだ明るかったのですが、JR山の手線に乗り換えて駒込駅に到着した時は暗くなっていました。

駒込駅からアジア文化会館まで歩き、18時過ぎに到着しました。昨年は水道橋の会場でしたので、2年ぶりに来たことになります。2年ぶりに訪れたアジア文化会館は、トイレが新しくなっていました。建物が古くなっているので、トイレだけでも新しくなったのは嬉しいことです。

地下にある研修室に向かうと、ひつじ書房の女性社員2名が講演会の準備をしていて、参加者は誰もいませんでした。来たのが早かったようです。昨年の講演会は、仕事が終わった後に会場に行き、危うく講演会に遅れそうだったので、仕事が休みとなった今年は、かなり余裕をもって行動したわけです。

受付を済ませて、一番前の席に座りました。私は小島さんの講演会では毎回一番前に座っていて、もはや指定席と化しています。また、私は小島さんの著書を机に並べました。私から見て左から『トルコのもう一つの顔』(中公新書)、『漂流するトルコ』(旅行人)、『再構築した日本語文法』(ひつじ書房)、『トルコのもう一つの顔・補遺編』(ひつじ書房)の4冊です。

しばらく待っていると、他の参加者が続々と入ってきて、18時29分に小島剛一さんが、ひつじ書房の松本功社長と一緒に入ってきました。こうして、私は小島さんと2か月ぶりに再開しました。小島さんと軽く会話を交わし、講演開始を待っている間も、参加者がやってきました。20数人ほどだったと思います。

19時になり、松本社長の挨拶と小島さん紹介があり、講演が始まりました。

講演のテーマでは、ラズ語というトルコの少数民族の言語の辞書についてですが、小島さんはなぜラス語を研究対象に、そもそもどういう経緯でトルコの少数民族の言語を研究しようと思ったのでしょうか。

小島さんはフランスのストラスブール大学で言語学を専攻し、研究する言語を選ぶ際、まず西欧の諸言語は研究が非常に進んでいるので、候補から外しました。また、東欧の諸言語は、語域のある国々が共産主義圏だったため、研究できる状況にありませんでした。

北アフリカのモロッコの言語も考えたようですが、モロッコの言語は(アラビア半島やエジプトなどのアラブ語では通じない)モロッコ・アラブ語、さらにベルベル語なども習得する必要があり、下調べが大変だったらしく、最終的にトルコの言語を研究対象に選んだとのことです。

トルコなら、小島さんの住んでいるフランスからヒッチハイクでギリギリ行ける距離だったとのことです。そういえば、小島さんの著書『トルコのもう一つの顔』(中公新書)は、フランスからトルコへ、ヒッチハイクや自転車などで行くところから始まっています。

小島さんが確認した限りでは、トルコには72の少数民族が存在しますが、1980年代まで存在しないことになっていました。ただし、イスタンブールに住むギリシャ人、アルメニア人、かつてスペインから追われたユダヤ人は例外で、国家公認の少数民族です。

ちなみに、第一次世界大戦後、オスマンル帝国(※)の崩壊後、今のトルコ領内に住んでいたギリシャ人とブリガリアに住んでいたトルコ人の間で、住民交換が行われ、今でもイスタンブール以外の地域にギリシャ人は暮らしていますが、国家公認ではなかったので、堂々とギリシャ人であることを言えませんでした。

(※)「オスマンル帝国」という表現については、昨年の講演の記事を参照してください。

また、かつての大虐殺から逃れてきたアルメニア人も隠れ民族(※)として暮らしています。

(※)「隠れ民族」の意味について、以下、小島さんのブログから引用します。
迫害を避けるために母言語・宗教などを秘匿している集団。『トルコのもう一つの顔』で初めて公に用いた。


トルコでは、かつて存在しないとされた少数民族で最大の人口を擁するのがクルド人ですが、クルド人の話すクルド諸語はクルマンチュ語とソーラーン語に分かれ、さらに川を挟んだ二つの集落間では互いに通じないほど、方言差も激しいです。

そのため、トルコのクルド人同士はトルコ語で、イラクのクルド人同士はアラブ語で、イランのクルド人同士はペルシャ語で、ドイツやフランスに住むクルド人同士はそれぞれドイツ語やフランス語で意思疎通を図っています。

さらに、トルコにはザザ人という少数民族もいて、ザザ語はクルド諸語とは別言語なのに、クルド人からザザ人はクルド人扱いされています。なお、イラクではトルコのクルド人をザザ人と呼んでいるので、ややこしいです。

このように、今のトルコ領内には多くの少数民族が存在するにもかかわらず、前述したように、トルコ政府は少数民族を存在しないという見解で、国家の第一公用語でない言語を話すことを禁止する法律がトルコにはありました。これは、クルド諸語を禁じるのが目的でしたが、クルド諸語の使用を禁じることを法律に明記すると、少数民族の存在を認めてしまうので、このような変則的な法律を制定したのです。

しかし、この法律を字面通りに解釈すると、トルコでアイヌ語やアルザス語(※)を話したらお縄になってしまいます。さすがにそのような事例は無かったでしょうが、正気の沙汰の法律ではありませんでした。

(※)アルザス語を話すアルザス人について、小島さんが詳しい記事を書いていらっしゃいますので、参照してください。

しかし、1991年4月、トルコ政府は突然、少数民族の言語を公の場で話しても良いと発表しました。ただし、公に読み書きや学校教育を施すのは、依然として禁止されていました。

小島さんがトルコの少数民族の研究を行っていたのは、トルコには称す民族は存在しないとされていた時代でしたので、トルコで言語研究を行うにあたり、録音機の持ち込みをするわけにはいきませんでした。もし、トルコ国内で少数民族の言語を録音した機器を持っていることが発覚すると、牢獄行きになるからです。『トルコのもう一つの顔』でも書いてありましたが、自分にしか分からない特殊な記号などで発音を記録していたそうです。

小島さんがトルコの少数民族の言語の中で、ラズ語を選んだのは、トルコの少数民族の言語でも、クルド諸語やザザ語は語域が広いので、複数の研究者で調査を行わなければできません。しかし、ラズ語なら語域が狭いので、一人で研究しても15年から20年もかければそれなりの成果を出せるからだそうです。

ラズ語を話す人々が住む範囲は、主にトルコの黒海沿岸地方の東の果てからグルジアの南西の隅になります。ラズ語域の詳細は、小島さんのウェブサイトを参照してください。

現在のラズ語域は海沿いなのですが、ラズ語には波や船を意味する単語はありません。海に該当する単語はありますが、漁業や海産物の語彙はとても貧弱です。これは、ラズ人が元々内陸で暮らしていたからだそうです。

ところで、言語学で最も研究するのが難しい言語は何でしょうか。それは、母言語(※)です。母言語ほど難しい言語はありません。というのは、母言語は特殊な用法でも当たり前に感じてしまうため、特殊であることに気付かないからです。

(※)「母言語」という言葉について、小島さんの記事に詳しい説明があります。

それを理解してもらうために、、小島さんは日本語の「い」は何通り読み方があるかという問題を出しました。私は考えましたが、分かりませんでした。「い」の読み方は、「い」の他に「え」とも読みます。例えば、経営(けいえい)という言葉は、「けーえー」と読みますね。

そして、もう一つの読み方があります。私は分かりませんでしたが、参加者の中で「ゆう」と答えた方がいらっしゃいました。そういえば、「言う」は「いう」ではなく「ゆう」と発音しますね。しかし、「言う」の「い」を「ゆ」と発音するのは終止形と連体形だけです。以下に「言う」の活用を書いておきます。なお、黒い太字の部分が語幹で、赤い太字の部分が活用語尾です。

未然形:ない
連用形:ます
終止形:
連体形:とき
仮定形:
命令形:

余談ですが、私が小学校高学年から大学に入学するまでの頃(1990年代半ば~2000年代前半)は、仮定形を已然形と呼んでいました。いつの間にか変わったのですね。

さて、ここまでがトルコの少数民族と言語の状況についての説明でした。次に、ラズ語の発音についてです。なお、ラズ語についての記述は、小島さんのウェブサイトも参考にしています。

ラズ語アルファベットは以下の38 文字です。

A, B, C, Ç, Ç’, D, E, F, G, Gy, Ğ, H, İ, J, K, K’, Ky, Ky’, L, M, N, O, P, P’, R, S, Ş, T, T’, U, V, X, X’, Y, Z, Z*, 3, 3’

ラズ語にも複数の方言がありますが、この38文字で全てのラズ語を表記できます。

「3」という文字ですが、これは数字の三ではなく、グルジア語から借用した文字で、日本語で言う「ツ」の発音をします。

また、「Ç」はトルコ語からの借用です。「Ky」は日本語で言う「キャ、キュ、キョ」に相当する音素を表す文字ですが、この音素がある言語は稀だそうで、英語にもフランス語にもありません。つまり、日本語は世界にも稀な音素を持っている言語ということです。

そういえば、2013年9月、アルゼンチンのブエノスアイレスで開催された国際オリンピック委員会(IOC)の総会で、7日午後5時(日本時間では8日午前5時)頃に、IOCのジャック・ロゲ(Jacques Rogge)会長が2020年の夏季オリンピック開催地が東京に決定したことを発表した際、ロゲ会長は東京を「トーキョー」ではなく「トキォ」という感じで発音していました。

この事は、こちらの動画で確認できます(再生開始から17秒後)。ロゲ会長はベルギー出身とのことですが、ベルギーの諸言語にも「Ky」の音素は無いのでしょう。

ところで、ラズ語アルファベットには、以下のように「’」が付いている文字を付いていない文字があるのが分かります。

Ç, Ç’, K, K’, Ky, Ky’, P, P’, T, T’, X, X’

付いているのが放出音、付いていないのは非放出音です。小島さんは実際に放出音と非放出音の発音を披露してくれました。

講演終了後に思い出しましたが、小島さんは2年前の講演会にも放出音と非放出音を聞かせてくれました。この時、グルジア語を学んだ際に習得したと話していました。グルジア語にも放出音はあるそうで、習得した時はかなり苦労したそうですが、そのおかげで、ラズ語の放出音の習得はすぐにできたそうです。

ところで、昔と違い、今のトルコは少数民族の存在を認めているものの、未だに少数民族の言語研究がまともに行えない国です。2012年に小島さんと初めてお会いした時、小島さんの本を読んで感銘を受けて、トルコの少数民族の言語研究を志望した人がいたそうですが、トルコ政府の妨害が凄まじくて、なかなか研究できないという話を聞きました。初めてお会いした時のことを書いた記事では、この事を書きませんでしたが、昨年の講演会の記事では書きました。

小島さんによると、政府が少数民族の存在を否定している国や、存在を認めているものの民族の数を決めている国は、学問として言語学が成り立たないとのことです。政府が認知していない他の民族もいるかもしれないという理由で、言語学の調査ができないからです。たとえば、少数民族の数を決めてしまっている旧ソ連の国々は、全て失格です。

また、トルコでは「ウラル・アルタイ語族説」を信じる人が今も多いそうです。「ウラル・アルタイ語族説」をご存じでない方は、小島さんのブログの記事「「同系の言語」って何 ?」、「語順」、「語族神話(前)」、「語族神話(中)」、「語族神話(後)」を読んでみてください。非常に詳しい説明です。

ところで、韓国でも「ウラル・アルタイ語族説」を真に受けている人がけっこういるそうです。小島さんは朝鮮語の専門家ではないので確実な情報を得ていませんが、韓国も言語学が成立しない国である可能性は低くないようです。

さて、ラズ語の接置詞についての話へと移り、前置詞、後置詞、挟置詞、遊置詞 の4種類があります。この講演会では、遊置詞の説明まではありませんでした。接置詞についての詳細は、小島さんのサイトを読んでみると良いでしょう。ところで、日本語にも狭置詞は存在しました。「な~そ」がそれに該当しまして、私は高校の古文の授業を思い出していました。

ラズ語の文法で面白いのは感嘆詞です。感嘆詞は日本語にもありますが、ラズ語の場合、人間相手と家畜相手に分かれ、さらに動物によっても使用する言葉が異なるそうです。家畜に命令する「禽獣命令詞」なる品詞もありまして、傑作なのが牛を交尾させるのにけしかける言葉が存在することで、雄(おす)の牛だけ反応するそうです。

小島さんが実際に聞かせてくれましたが、カタカナに転写すると

「エンラハー、エンラハー」

と聞こえます。

また、ラズ語には東西南北を意味する言葉は無いそうです。これは世界的に珍しいことではなく、例えばメキシコの土着の言語にもありません。

ところで、前回の記事で、私は「オブジェ」と「モニュメント」の区別がついていなかったことを書きましたが、カタカナ語は意味がずれて曖昧になるという特徴があります。これは日本語だけでなく、日本以外の国の言語でも、異言語をそのまま使っている言葉は、元の意味がずれます。

例えば、「manga」という言葉はフランスでも広まっていますが、フランスでは日本でいうアニメを意味します。日本語の漫画は、フランスでは紙のmangaと言う必要があります。しかし、小島さんが日本に住んでいた頃(1968年以前)、アニメ映画の事を「まんが映画」と呼んでいたので、昔の日本でも漫画はアニメを意味していました。そういえば、1969年から1989年まで「東映まんがまつり」という、複数のアニメ映画を公開する催しがありましたね。1990年から2002年まで「東映アニメフェア」という名称になっていましたが、カタカナ語を偏重する時代の反映なのでしょうか。

2011年以降、トルコでも「tsunami」という語を使用するようになりました。言うまでもなく、日本の津波から入ってきた言葉ですが、意味は日本語と同じです。今のところ、意味はずれていません。

ただし、トルコ人は「トゥスナミ」と言います。トルコ語には「ツ」の発音が無いからです。ラズ語では「3unami」で表記し、ラズ人は「ツナミ」と発音できます。トルコ人(トルコ国籍所持者)でも、ギリシャ語やブルガリア語が母言語の人たちも「ツナミ」と発音できます。ただし、出自が知られないように、わざと「トゥスナミ」と発音する人もいるそうです。

このような話を聞き終えた時、既に19時49分になっていました。ここで、松本社長からラズ語の辞書についての説明がありました。辞書はラズ語とトルコ語と日本語の3言語で記述するそうです。

小島さんによると、500部ほどトルコに送るそうで、500部あればラズ語の全ての集落に一冊届けることができるとのことです。ただし、何冊も一気に送ることはできません。販売用だとみなされて没収されてしまうからです。ここで、どうやって送るかの話もありましたが、いくつかの方法があるようです。

さらに、学校などの公共施設には送ることはできません。トルコ政府の息がかかっていますので、没収されてしまいます。トルコのどこに送るかも、重要なのです。もちろん、日本の国立国会図書館にも納本することになるでしょう。

参加者からの質問の時間では、今回発刊するラズ語の辞書は、日本語とトルコ語でも記述をするので、トルコ語の辞書としても宣伝できるのではという発言がありました。確かに、トルコ語の辞書としても使えますので、トルコ語に関心のある方にも買ってもらえるかもしれません。

また、トルコ民謡についての話もありましたが、実はトルコ民謡の99.9%は、クルド民謡、ラズ民謡、ザザ民謡、ギリシャ民謡なのだそうです。イスタンブール民謡なるものもありますが、これは西洋の民謡とのことです。

他にも、ラズ語の音声を録音してもらうのも良いのではという提案もあり、誰にどうやってもらうかという話になりましたが、録音については具体的に決まりませんでした。今は、紙のラズ語辞書発刊が先でしょう。

私も質問をしました。ラズ語の辞書は何ページくらいになるのかと訊きまして、大体500ページくらいになるそうです。500ページでどのような辞書に仕上がるのか、楽しみです。

こうして、講演は20時35分に終了となりました。

終了後、私は小島さんと言葉を交わし、講演開始前に小島さんが他の方と話していた事について触れました。それは、四国の遍路で、白装束の姿をして遍路を行う人は、昭和28年以降に見るようになった、それよりも前は白装束の人はいなかったという話です。「伝統」と思われている事は、実は非常に歴史が浅い場合もあるようです。この事は、小島さんもブログで「白装束は遍路の伝統衣装ではない」という題で記事を書かれています。

小島さんと挨拶と握手を交わして、私はアジア文化会館を出て、駒込駅へ向かい、帰路に就きました。来年もまたお会いしたいと思います。


今回の講演会は、今までと大きく異なる点がありました。

小島さんもブログで既に公表されていますが、遂にラズ語辞書刊行のスケジュールが具体的になったのです。


ひつじ書房の発表によると、ラズ語の辞書は、2019年8月に刊行、2019年9月に刊行記念会を開催する予定です。あと2年です。

ラズ語の辞書の編纂に関する細かい情報は、今後ひつじ書房の公式サイト小島さんのブログで発表が随時あると思います。

これを読まれている方の中で、ひつじ書房や小島さんのブログに目を通して、支援をして下さる方がいらっしゃれば幸甚です。

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