旧約聖書「申命記」32章8節について

イスラエルで死海文書が60年ぶりに発見されたニュースがあり、それでTwiterに聖書の記述がまた書き換えられるのかということを書き、過去に死海文書の発見で聖書が書き換えられた例についてつぶやこうとしましたが、あまりにも長くなりすぎたので、このブログで書くことにします。

死海文書の発見で聖書の内容が書き換えられた例として、旧約聖書の「申命記」の32章8節があります。

この32章8節はどんな記述なのか。現在のプロテスタントとカトリックの教会で使われていて、日本語の聖書で最も流通していると思われる新共同訳聖書(1987年発行)では、以下のように書かれています。

いと高き神が国々に嗣業の土地を分け
人の子らを割りふられたとき
神の子らの数に従い
国々に境を設けられた。


一方、昔のプロテスタントの教会で広く使用されていた口語訳聖書(1955年発行)では、以下の通りです。

いと高き者は人の子らを分け、
諸国民にその嗣業を与えられたとき、
イスラエルの子らの数に照して、
もろもろの民の境を定められた。


それぞれの3行目に注目です。

新共同訳では「神の子ら」になっているのに対して、口語訳では「イスラエルの子ら」になっています。

なぜ異なっているのでしょうか。現在、ヘブライ語の旧約聖書の原文であるマソラ本文では「ベハヌヘル・エルヨーン・ゴイム・ベハフェリドゥウォ・ベネ・アダム・ヤッツェブ・ゲブロート・アンミーム・レミスパル・ベネー・イスラエル」とあります。ちなみにヘブライ語のヘブライ文字はうまく表記できないので、カタカナのみ記述します。

マソラ本文では「ベネー・イスラエル」、つまり「イスラエルの子ら」と訳されており、ここだけ読めば口語訳が正しいです。それでは新共同訳は誤訳かと言うと、そうではありません。

実は、新共同訳の「神の子ら」という翻訳は死海写本の記述を元にしています。

死海写本は1947年以降に、死海付近のクムランという場所にある洞窟で相次いで 発見された、聖書やクムランの人々の法規などが書かれた宗教書の写本の総称です。書かれたのは約2000年前、まさに聖書の時代に書かれた写本でして、世紀の大発見と呼ぶにふさわしい出来事でした。

それまでの、完全な形で残っているマソラ本文の最古のテキストは1008年のレニングラード写本というものですから、それよりも1000年ほど古い文書です。

1954年、パトリック・スケハン(Patrick Skehan)というアメリカの文献学者が「申命記」32章8節が書かれた4QDeut(j)という死海写本の断片では「ベネー・エロヒム」、つまり「神の子ら」という記述が正しいことを明らかにしました。

従って「神の子ら」が本来の読みであり、「イスラエルの子ら」は後世に写本した者による書き換えであるという判断から、新共同訳では「神の子ら」という読みが採用されたのです。「エロヒム」は後述する神を意味する「エル」の複数形ですが、単数形として使われています。

ちなみに、紀元前250年頃に翻訳された七十人訳(Septuaginta)と呼ばれるギリシャ語の旧約聖書では、この「神の子ら」の箇所は、「アンゲローン・セウー」(ἀγγέλων θεοῦ)、日本語だと「神の使い」となっており、この事からもマソラ本文の「イスラエルの子ら」は正しい読みではないことの一つの裏付けとなっています。

日本語以外の、各言語の聖書でこの箇所を参照してみると、ある聖書は「イスラエルの子ら」となっており、別の聖書では「神の子ら」となっていますが、1970年代以前に翻訳・発行さ れた聖書は、すべて「イスラエルの子ら」となっていて、1987年の新共同訳聖書を含め、 1980年代以降の聖書では、「神の子ら」と書かれているものが多く現れます。

例を挙げると、英語の聖書で、1978年の新国際版(New International Version)では「イスラエルの子ら」(the sons of Israel)となっている一方、2001年発行の英語標準訳(English Standard Version)では「神の子ら」(the sons of God)となっています。

他の言語だと1964年改訂のドイツ語のルター訳聖書では「イスラエルの子ら」(der Söhne Israels)、1978年改訂のフランス語のルイ・スゴン訳聖書でも「イスラエ ルの子ら」(des files d’ Israël)となっています。

時代は古くなりますが、1590年のハンガリー語のカーロリ・ガシュパール訳聖書では 「イスラエルの子ら」(Izráel fiainak)です。1975年発行のポーランド聖書協会のポーランド 語の聖書も「イスラエルの子ら」(synów izraelskich)となっています。 一方、1992年発行のデンマーク語のマルグレーテ2世欽定訳聖書では「神の子ら」 (gudssønnerne)、2001年発行のトルコ語の聖書協会の聖書では「イスラエルの子らの」(İsrailoğullari'nın)となっているものの、マソラ本文、七十人訳、死海写 本の各表記が注釈に書かれています。

「神の子ら」という表記が見つかったのは1954年ですが、一般に流布している聖書の記述にこの事が反映される1980年代までに、実に30年ほどかかっていることが分かります。

聖書翻訳は単にヘブライ語やギリシャ語などの原文を単に別言語に置き換えるだけでなく、他の資料も取り入れて、もはや存在しない(存在が確認されていない)聖書の原本をできるだけ反映させる、まさに多くの研究者によって長い時間をかけて積み上げられてきた研究の成果とも言えるわけです。

ただし、中には最近の発行にも関わらず、昔ながらの「イスラエルの子ら」とだけ表記されているものもあります。例えば、1998年発行の韓国語の改訳改訂版では「イスラエルの子ら」(이스라엘 자손)、同じく1998年発行のスウェーデン語の国民訳聖書でも「イスラエルの子ら」(Israels barn)となっています。

この理由は不明ですが、単に死海写本の研究成果を取り入れていないだけか、もしくは 護教的な立場からの配慮という可能性もあります。護教的な立場とはどういうことか。

それではなぜ「神の子ら」が、マソラ本文では「イスラエルの子ら」になったのでしょうか。

ここで大胆発言。

「神の子ら」という表記は、かつてイスラエル民族が多神教を信仰していた頃の痕跡 であると解釈できるのです。

聖書に書かれている歴史(神話)とは別に、実際にイスラエル民族が歩んできた歴史がどういうものだったのか、聖書以外の具体的な資料が極めて乏しいため、その実態を明らかにするのは非常に難しいですが、近年の研究ではどうやらかつてイスラエル民族は多神教を信仰しており、ユダヤ教(キリスト教)の神であるヤハウェもその神々のうちの一つだったものの、徐々にヤハウェのみの一神教信仰へ移っていったという説が有力視されています。

申命記を含めたモーセ五書は、バビロン捕囚以降の一神教信仰が強まった後 に編纂されていますが、それでもかつて多神教の信仰をしていた頃の名残が散見され、申 命記32章8節もその一つと推測されます。

新共同訳聖書にある「いと高き神」という言葉は、英語標準訳では“the Most High”、ドイツ語のルター訳では“der Höchste”、フランス語のルイ・スゴン訳では“le Très-Haut”、トルコ語の聖書協会の聖書では“Yüceler Yüce”と訳されており、ヘブライ語の原文ではエルヨーンと言います。

実はイスラエル民族の最高神がこのエルヨーンであり、そのエルヨーンに仕える神の一人がヤハウェだったと推測されます。 ちなみにエルヨーンはエルとも書かれ、現在エルはヘブライ語で「神」を意味する普通名詞ですが、もともとは特定の神の名を示す固有名詞だったようです。

エルヨーン とエルは別々の神だった可能性がありますが、後に同一視されたようで、旧約聖書にはこの同一視を示唆する記述が散見されます。例えば、詩編57章3節には、以下のように書かれています(新共同訳より一部を加筆して引用)。

いと高き神(エルヨーン)を呼びます。 わたしのために何事も成し遂げて下さる神(エル)を。

エルヨーンとエルは私が加筆しましたが、上記の記述通り新共同訳ではどちらも「神」となっている一方、原文の表記は実は異なっています。エルとエルヨーンが同一視されていると捉えることもできます が、後にエルヨーン(エル)とヤハウェも同一視されるようになり、イスラエル民族にとって の神はヤハウェのみとなったのではないかとも考えられます。

これは、さきほどの申命記32章8節と9節と照らし合わせると分かります。新共同訳聖書から、一部を修正した上で引用します。

エルヨーンが国々に嗣業の土地を分け
人の子らを割りふられたとき
エロヒムの子らの数に従い
国々に境を設けられた。
ヤハウェに割り当てられたのはその民
ヤコブがヤハウェに定められた嗣業。


つまりこの箇所は、エルヨーンという最高神が、エロヒム(神)の子ら(神々)に各土地を分けて、 その際に神の一人ヤハウェはヤコブ(イスラエル民族。イスラエル民族はヤコブの子孫とされる)の土地を割り当てられ、イスラエルの神に指定されたことで、ヤハウェはイスラエルの民族神になったという解釈ができるわけです。

いやはや、なんという多神教的な文言でしょうか。後にエルヨーンとヤハウェは同一であるという解釈がなされたと思われますが、それでもこの多神教的な文言を「訂正」するために「イスラエルの子ら」に書き換えられたのでしょう。

ところが「イスラエルの子ら」とすると、論理的な齟齬をきたしてしまいます。創世記10章から11章には、ノアの息子、セム、ハム、ヤフェトの各子孫が住んだ地域、そしてバ ベルの塔を建てようとしたことで各民族の話し言葉が分からなくなり、まとまりを失った ことが書いてあります。それはイスラエルだけでなく実に様々な地域に、つまりイスラエル民族からすると異邦人となった民族ばかりが存在することを示し、そして彼らはヤハウェではなく、各々の神々を信仰するようになったのは明白です。

ここからイスラエルの民族の神になったのがヤハウェであり、他の民族には他の神々 が割り当てられるようになった、その頂点にいた最高神がエルヨーン(エル)であったという 解釈が成り立つわけです。

この解釈は明らかに多神教であり、現在のキリスト教徒からすると受け入れ難いものでしょう。

この事に対してどう整合性をとるべきでしょうか。それは、前述したように、エルヨーンとヤハウェはあくまでも同一であるという解釈です。

そうすれば、最高神はヤハウェであり、その最高神がイスラエルの民族の神となったということになりまして、実際 にイスラエル民族が一神教へと移行する過程において、エルヨーンとヤハウェは同一視されるようになったと推測されます。ただ、前述の申命記の記述で、エルヨーンとヤハ ウェを同一視する解釈は非常に強引なものとなってしまいます。

そもそも他の神の存在を聖書が肯定しているという、多神教的な解釈の問題が残ります。この問題について、どのように解釈をするべきか、専門家でない私の学識では限界がありますので、これ以上は踏み込みません。研究者の方々の発表する説に期待することにします。

なお、イスラエル民族がかつて多神教を信仰していたことは事実であるのではと私は考えていますが、この事がキリスト者としての一神教信仰に対して、何の妨げにもならないということ、そもそも聖書は矛盾だらけの書物であり、信仰者としては科学的に読むものではないことを強調しておきます。

多神教を信仰していたという事実は文献学や歴史学などの 科学的な手法に基づいて明らかになったことですが、それと神に対する信仰は科学とは全 く別次元の問題です。

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