クリスマス・イブで思う事

クリスマス・イブの管理人についてです。

これを書いている今、私は自宅にいます。

本当なら妻(←仏教徒)もいるはずですが、事情があって実家に帰省しています。本当なら昨日帰ってくる予定でしたが、実家の方で色々あって、まだ帰って来ていません。下手したら年内は実家にいるかもしれません。

独り暮らしをしている私なのですが、昨日は所属している教会にクリスマス礼拝に出席しました。

礼拝後の祝会では、私は準備や進行などで駆り出されました。まあ、例年のことですがね。

それに、クリスマス礼拝とその後の祝会というのは、準備する教会員や参加するゲストの全員で築き上げて行くもので、下は0歳から上は90歳台に至るまで、あらゆる人たちで盛り上げていこうという感じです。

これ、どこかで聞いたことありませんか。そう、コミックマーケットです。コミケのコンセプトは皆で創るものというですが、それに近いものがあります。

教会はコミケみたいなところと言えば、キリスト教に馴染みの無い方でも、イメージしやすいかもしれません。私も過去に東京ビッグサイトのコミケに参加したことがありますが、コミケも一種の宗教性のようなものを帯びている気がしなくもないです。

ちなみに、昨日のクリスマス礼拝は12月23日の天皇誕生日でしたが、私がキリスト教の洗礼を受けた2007年のクリスマス礼拝も12月23日でした。あれから11年も経ったのですね。

日本の書店ではキリスト教関係の本をよく見かけ、世界最大の神学書であるカール・バルトの『教会教義学』の全訳が日本語で出版されています。ちなみに、バルトの『教会教義学』の原文がドイツ語ですが、全訳が出ているのは英語と日本語だけのようです。

こういった事から、日本ではキリスト教に関心を持っている人が非常に多いことか伺えますが、入信に至る人はあまりいません。日本の全人口の1%もいないでしょう。それでは、なぜ私が洗礼をなぜ受けたかというと、まあ色々あったのです。詳しいことは、また別の機会に書こうと思います。ちなみに、私の実家はキリスト教とは何の関係もありませんし、私が知る限り親族でキリスト教徒は私以外にいません。

24日の夕方から、私の教会ではクリスマス・イブ礼拝が行われましたが、私は用事があって実家に行っていたので、イブ礼拝には出席しませんでした。実家に行くと、母から「これ、郵便受けに入ってたんだけど、何か分かる?」と一枚のチラシを差し出されました。

そのチラシは実家の近くにあるプロテスタントの教会のクリスマス・イブ礼拝のチラシでした。私が所属している日本基督教団とは異なりますが、別に怪しいところではなく、よくあるキリスト教の教会です。私はその教会の教派の事と、おそらくそこの教会員が近所にポスティングしただのだろうと話しました。私も、自分の所属する教会のイベントのチラシを教会周辺にポスティングした経験があります。

それで、クリスマスである明日はいつも通り過ごします。キリスト教徒であっても、社会人は色々大変なのですな。

それにしても、先ほどのポスティングの話からでも、どこの教会でもありのままの姿を知ってもらおうと、敷居を下げようと色々努力しているようです。世間から誤解されているところもありますからね。少なくとも、この本この本に描いてある事とは無縁です。

むしろ、『ちびまる子ちゃん』の単行本の第9巻に収録されている第63話『まる子 教会へ通う』の巻に近いですかね。ただ、『ちびまる子ちゃん』に出てきた教会はカトリックのようなので、私の所属するプロテスタントとは雰囲気は異なりますが。あと、教義もかなり違っています。この違いを詳しく説明すると本1冊分くらいの分量になりそうですが、一言で話すと、カトリックは伝統と聖書の両方を、プロテスタントは聖書のみを重視します。

ところで、こんなニュースがありましたが、教会のイメージを変えるのには良い試みかもしれません。私もリンク先の上馬キリスト教会のツイートを時々見ています。上馬キリスト教会もプロテスタントですが、私の所属する教会とは相違点が結構あります。

この教会で使っている聖書は新改訳聖書のようで、私の教会で使用する新共同訳聖書とは異なります。使っている聖書で、その教会がどういうところかは大体想像はつきます。誤解を招きそうですが、別に新改訳が悪いと言っているわけではありません。私も新改訳聖書を通読したことがありますし、今も新改訳を読むことはあります。上馬キリスト教会も良さそうな所なので、ご興味のある方は足を運ばれるのも良いでしょう。また、このページにある使徒信条やニカイア信条は私の教会でも使用しますので、共通する部分も多いです。仏教で言えば、天台宗も真言宗も般若心経を使用するようなものかもしれませんが、どうですかね。

なお、今月いよいよ新共同訳に代わる新しい翻訳の聖書が出版されました。聖書協会共同訳です。私も先日教文館で購入しました。そのうち、私の教会でも使用されるでしょう。

私は10年以上信徒をやっていて、奉仕活動もそこそこしてきたので、教会ではそれなりの発言権を持っていたりしますから、何か面白い提案があればしてみたいのですが、なかなか思いつきません。このブログでは、時々キリスト教のネタを持ち出して、キリスト教に対するイメージが良くなればと思っています。ただ、私は過去にこんな記事も書いているので、キリスト教の教会は変な奴ばかりが来るのではと誤解されかねませんが、決してそんな事はございません。

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この記事へのコメント

はいじま
2018年12月26日 09:45
「日本ではキリスト教に関心を持っている人が非常に多いことか伺えますが、入信に至る人はあまりいません」

とのことですが、これは確かに言えますね。
でも私は多くの日本人がキリスト信者だと思っています。聖書を読むことも洗礼を受けることも教会へ行くことをしていなくても、です。
そして同時に、多くの日本人は仏教徒でもあると思っています。
そして、こういう私もそんな典型的日本人の一人です。

子供が産まれたら神社にお宮参り、小さい子は七五三で祝い、秋はハロウィン、冬はクリスマス、大晦日はお寺の除夜の鐘を聞き、正月には神社に初詣、節分には豆を蒔き、教会で結婚式を挙げ、死者が出たら坊さんを呼んでお経を上げる…。
これほど宗教に対して、ごちゃ混ぜな感性を持つ人々が大多数を占めている国は、この日本だけかと思います。

そして日本がこんでこんな多彩な宗教観を持つ人々が「普通」なのかというと、これは根底に日本の神社の考え方があるからだと思います。
「八百万の神」と言われるように、日本の神社では「全てのものに神が宿る」という考えを持っています。その上で神を信じる者とそうでない者を分け隔てしません。神社の考え方で見れば、仏様もキリスト様も「八百万の神のひとつ」なのです。

そしてこのような宗教観が、私の中にある事に気付いたのは今から25年位前、20代も半ばに差し掛かった頃でした。

どんな宗教でも「コミケのような催し」はあります。このような催しが人と人とを繋ぎ、本当の絆を作っていると私は信じています。

余計な事だったらごめんなさい。
チョルス
2018年12月26日 22:31
興味深いコメントありがとうございます。

キリスト教では、どの教会も洗礼を受けていなければ信者ではないとみなしています。ただ、それは建前上のことで、洗礼を受けていなくてもイエスを救い主(キリスト)と信じる人は実質的に信者だと言えると思います。実際、洗礼を受けていないものの、毎週のように教会の礼拝に参加して、事実上の信者と言える人も知っています。

キリスト教徒である私は、自分が他の宗教の信者とは思っていませんが、日本で生まれ育ったことから、自分の言動に仏教や神道の教えがあると感じることはあります。元々、キリスト教は中東のパレスチナで生まれましたが、西洋で広まって、西洋の文化に融合しました。クリスマスにしても、元々はキリスト教以前にあった冬至の祭りが起源のようで、イエスが12月25日に誕生したかは定かではありません。日本の仏教などにも言えますが、宗教が新しい土地に根付く際は、その土地の文化や風習と融合することになります。

日本の場合は神社の考え方をベースに、外来の宗教も本来の教えから大きく変化してきました。仏教にしても、日本以外で僧侶が妻帯するなど考えられないことで、それだけ大きく変わったわけですね。キリスト教にしても、イエス・キリストを「八百万の神のひとつ」のようにみなしている日本人が多いように思います。本来の教義からは逸脱していますが、この発想はやはり神道の考えが基になっているようです。
チョルス
2018年12月26日 22:36
コメントの続きです。

「神を信じる者とそうでない者を分け隔てしません」とのことですが、キリスト教も本来はそういう考えなのですね。聖書にあるイエスがまさにそういう生き方をしたわけで、最後は十字架で処刑されたことで、全人類の罪が贖われたのですから。一部のキリスト教徒は洗礼を受けないと地獄に落ちるとか言ったりしますが、イエスの死を蔑ろにしていると思います。

「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また隣人を自分のように愛しなさい」というイエスの言葉がありますが、今を生きる我々は、自分の人生を大切にして、余裕があれば他人のためにも尽くすという生き方が大事だと思います。

「コミケのような催し」はどんな宗教にもあるとのことですが、神社の祭りなどが挙げられますね。私も自分の教会に行くたびに、赤の他人同士で繋がって、絆ができていると感じます。このような絆を大事にしていきたいと思います。

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