ドレフュス事件-L'affaire Dreyfus
かくてドレフュスは逮捕さりけり-Donc Dreyfus a été placé sous a arrêté
1871年、フランスはプロイセン(ドイツ)との戦争に敗れました。これにより、ドイツ帝国が成立、フランスは第2帝政が崩壊しました。
ドイツへの賠償も済んだ後、フランスでは第3共和政が始まりはしたものの、政情は不安定で、フランス国内における政治的分裂は実に深刻なものがありました。
1886年、その深刻さを象徴する事件が起きました。フランス軍の将軍であるジョルジュ・ブーランジェ(Georges Boulanger)がクーデター事件を企てたのです。結局、1889年にこの事件は未遂に終わり、ブーランジェはベルギーに亡命しました。
そして、再びフランスの深刻な政治的分裂を象徴する事件が起きました。1894年10月15日、ユダヤ系のフランス参謀幕僚大尉アルフレッド・ドレフュス(Alfred Dreyfus)が逮捕されました。罪状は軍の機密をドイツに送ったという反逆罪でした。
1895年1月5日、ドレフュスは裁判の結果、終身刑を宣告され、フランス領のギアナにある悪魔島へ流されました。当然、軍の階級も剥奪されます。有罪の決め手となったのは、ドイツ駐在武官から見つかった文書の筆跡が、ドレフュスのものであるという事でした。
かくて闘争は始まりき-Donc la bagarre a commencé
翌年、フランス参謀幕僚の対敵諜報部の新長官としてジョルジュ・ピカール(Georges Picquart)大佐が就任します。ピカールはドレフュス逮捕後も、軍の機密が流出している事に気付き、ドレフュスの有罪を決定づけた文書をよく見ると、どうも筆跡が参謀幕僚であったワルジン・エステルハジー(Walsin Esterhazy)伯爵のものに似ていると見抜きます。そういうわけで、ピカールはこのエステルハジーこそが怪しいと主張しますが、参謀幕僚は相手にしてくれず、それどろかピカールはアフリカのチュニスに飛ばされてしまいます。
さて、この頃のフランスの世論において、ドレフュス擁護派と反ドレフュス派の二つのグループに分裂します。ドレフュス擁護派にはプロテスタントや共和主義者が占めており、小説家のエミール・ゾラ(Émile Zola)、アナトール・フランス(Anatole France)、後の首相ジョルジュ・クレマンソー(Georges Clemenceau)等がいました。一方、反ドレフュス派は、カトリック、君主主義者、反ユダヤ主義者などです。
かくてゾラは告発せり-Donc Zola a accusé
この騒ぎにフランス軍も無視できず、エステルハジーに対する裁判を行うことにしました。しかし、彼は無罪となり、この裁判で反対証人の一人であったピカールが逮捕されてしまいます。
この横暴なやり方を正面から批判した政治文書こそが、“J'accuse”(私は弾劾する)と題した大統領への公開状でした。この文書を書いた人物がゾラであり、彼は逮捕を恐れてロンドンへ亡命、かの地でドレフュス擁護の運動を継続します。
かくてドレフュスは解放さりけり-Donc Dreyfus a été libérée
こうした中、擁護派による運動の甲斐もあって、最高控訴院はドレフュスに対する裁判をやり直すことにしました。1899年6月22日、判決がおりましたが、その内容は実に奇妙なことに、ドレフュスはやはり有罪であり、情状酌量を認めて釈放するというものでした。そして同年9月、ドレフュスは大統領から釈放の旨を受けて、一応解放されました。その後、彼が無罪である事は認められ、軍に復帰したのが1906年、実に7年もの時を要しました。
ちなみに、真犯人の一人はエステルハジーであり、彼はドイツのスパイである事が後に判明しました。しかし、その時は既に彼がイギリスへ亡命した後でした。
この事件の背景には、政情不安のみならず、カトリックや保守反動主義者らの間に渦巻いていた反ユダヤ主義も絡んでいました。ユダヤ系の共和主義者であったドレフュスがスケープゴートとなる温床があったわけです。そして、この事件において自由主義者らが勝利したという事実は、1905年の政教分離法の制定を促したと言えます。
さて、明日は久々のクレヨンしんちゃんの放送ですが、ドラえもんとは待遇が天と地ほどの差があります。しんちゃんは地であります。何しろ新作アニメの放送は3月14日以来と、実に1か月以上ものブランクがあるのですから。一方で、3月のドラえもんは毎週の如くスペシャル三昧。
しかし、映画の興行収入ではドラえもんに及ばないものの、テレビの視聴率で言えばしんちゃんの方が上なのです。映画の上映期間がドラえもんの方が長い事は仕方ないにしても、テレビアニメの放送回数や待遇にまでここまで差別するのは、不当な差別以外の何物でもありません。反ユダヤ主義のごとく。
テレビ朝日も、そろそろ20世紀初頭のフランスのように、政教分離法を制定するべきではないでしょうかね。
La fin
1871年、フランスはプロイセン(ドイツ)との戦争に敗れました。これにより、ドイツ帝国が成立、フランスは第2帝政が崩壊しました。
ドイツへの賠償も済んだ後、フランスでは第3共和政が始まりはしたものの、政情は不安定で、フランス国内における政治的分裂は実に深刻なものがありました。
1886年、その深刻さを象徴する事件が起きました。フランス軍の将軍であるジョルジュ・ブーランジェ(Georges Boulanger)がクーデター事件を企てたのです。結局、1889年にこの事件は未遂に終わり、ブーランジェはベルギーに亡命しました。
そして、再びフランスの深刻な政治的分裂を象徴する事件が起きました。1894年10月15日、ユダヤ系のフランス参謀幕僚大尉アルフレッド・ドレフュス(Alfred Dreyfus)が逮捕されました。罪状は軍の機密をドイツに送ったという反逆罪でした。
1895年1月5日、ドレフュスは裁判の結果、終身刑を宣告され、フランス領のギアナにある悪魔島へ流されました。当然、軍の階級も剥奪されます。有罪の決め手となったのは、ドイツ駐在武官から見つかった文書の筆跡が、ドレフュスのものであるという事でした。
かくて闘争は始まりき-Donc la bagarre a commencé
翌年、フランス参謀幕僚の対敵諜報部の新長官としてジョルジュ・ピカール(Georges Picquart)大佐が就任します。ピカールはドレフュス逮捕後も、軍の機密が流出している事に気付き、ドレフュスの有罪を決定づけた文書をよく見ると、どうも筆跡が参謀幕僚であったワルジン・エステルハジー(Walsin Esterhazy)伯爵のものに似ていると見抜きます。そういうわけで、ピカールはこのエステルハジーこそが怪しいと主張しますが、参謀幕僚は相手にしてくれず、それどろかピカールはアフリカのチュニスに飛ばされてしまいます。
さて、この頃のフランスの世論において、ドレフュス擁護派と反ドレフュス派の二つのグループに分裂します。ドレフュス擁護派にはプロテスタントや共和主義者が占めており、小説家のエミール・ゾラ(Émile Zola)、アナトール・フランス(Anatole France)、後の首相ジョルジュ・クレマンソー(Georges Clemenceau)等がいました。一方、反ドレフュス派は、カトリック、君主主義者、反ユダヤ主義者などです。
かくてゾラは告発せり-Donc Zola a accusé
この騒ぎにフランス軍も無視できず、エステルハジーに対する裁判を行うことにしました。しかし、彼は無罪となり、この裁判で反対証人の一人であったピカールが逮捕されてしまいます。
この横暴なやり方を正面から批判した政治文書こそが、“J'accuse”(私は弾劾する)と題した大統領への公開状でした。この文書を書いた人物がゾラであり、彼は逮捕を恐れてロンドンへ亡命、かの地でドレフュス擁護の運動を継続します。
かくてドレフュスは解放さりけり-Donc Dreyfus a été libérée
こうした中、擁護派による運動の甲斐もあって、最高控訴院はドレフュスに対する裁判をやり直すことにしました。1899年6月22日、判決がおりましたが、その内容は実に奇妙なことに、ドレフュスはやはり有罪であり、情状酌量を認めて釈放するというものでした。そして同年9月、ドレフュスは大統領から釈放の旨を受けて、一応解放されました。その後、彼が無罪である事は認められ、軍に復帰したのが1906年、実に7年もの時を要しました。
ちなみに、真犯人の一人はエステルハジーであり、彼はドイツのスパイである事が後に判明しました。しかし、その時は既に彼がイギリスへ亡命した後でした。
この事件の背景には、政情不安のみならず、カトリックや保守反動主義者らの間に渦巻いていた反ユダヤ主義も絡んでいました。ユダヤ系の共和主義者であったドレフュスがスケープゴートとなる温床があったわけです。そして、この事件において自由主義者らが勝利したという事実は、1905年の政教分離法の制定を促したと言えます。
さて、明日は久々のクレヨンしんちゃんの放送ですが、ドラえもんとは待遇が天と地ほどの差があります。しんちゃんは地であります。何しろ新作アニメの放送は3月14日以来と、実に1か月以上ものブランクがあるのですから。一方で、3月のドラえもんは毎週の如くスペシャル三昧。
しかし、映画の興行収入ではドラえもんに及ばないものの、テレビの視聴率で言えばしんちゃんの方が上なのです。映画の上映期間がドラえもんの方が長い事は仕方ないにしても、テレビアニメの放送回数や待遇にまでここまで差別するのは、不当な差別以外の何物でもありません。反ユダヤ主義のごとく。
テレビ朝日も、そろそろ20世紀初頭のフランスのように、政教分離法を制定するべきではないでしょうかね。
La fin
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